『男の気持ち』3年目
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去年の今頃、
『男の気持ち・ふたつ』と、言う題で書いた投稿文。
今日の新聞に、
『孫の就職』と、題して投稿されていました。
1年目は、孫の不登校のことを。
2年目は、
その孫と旅行したときに、
心のなかを話してくれたこと。
それぞれが、歩んだあかしが、書いてありました。
そして、今日の投稿にも、
お孫さんと、投稿されたおじいちゃんと、
ご家族のあゆみがよくわかります。
素晴らしいご家族の歩みを、
写させてもらいたく思います。
『孫の就職』
定時制高校に通う孫が、
有名なトンカツ屋さんで働き始めて、もう4ヶ月になる。
何度も何度も、1次面接で落ちて、
落胆の末に見つけた、
人生最初の就職先だ。
内定のてんまつを聞いて、うなった。
面接の冒頭、
「君は、なぜ何度も落ちるか、気づいているかい?」と、問われたそうだ。
「中卒で定時制だから、」と、答えた彼に
「君の半ズボンがいけないんだよ」と諭され、
彼に、面接の極意まで、説いたという。
内心またダメかと思っていると、
なんとそこで採用になったという。
聞いた私は、
その面接官に、敬意に似たものを抱き、
世の中の、縁の不思議に、感心もした。
孫は中学の3年間、先生と相性が合わず、不登校だった。
しかし、周囲の心配をよそに、
自分で定時制高校を見つけ出し、
頑張って受験し、見事合格した。
今、昼は皿を洗い、
夜は、黒板と向かい合う環境にいる。
仕事先の分厚いマニュアルとも、格闘しているらしい。
先日の電話で、
コックさん用の長い帽子をかぶって初めてカツを切った、と聞いた。
また、店長がふいに査定をするので、いつも余念なくやっているとも。
右往左往していた両親に、
初めての給料から、生活費を渡したときの痛快さを、
愉快そうに話す彼に、私は人生の機微を思った。
今、私はもうすぐ初盆を迎える母へ、
いい報告ができることに、感謝して過ごしている。
【宮木慎次郎・66歳・臨床心理士・福岡県直方市】
この投稿文を読むと、
新聞紙面でしか、知らない方だけど、
良かったなあと、嬉しくなります。
今日は立秋。
今年は柿の実も、たわわになり、
金柑の花も、花盛りです。
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はじめまして。
ここで、私の拙い投稿文に出会えて驚きとともに深い感謝の念に打たれました。
以前、母が存命の頃、投稿したものが出て参りました。
恥ずかしながら、ここに残しておきたく思います。
ご笑読下さいませ。
男の気持ち
意気軒高な母 福岡県直方市・宮木慎次郎(63歳)
毎日新聞2016年8月5日 西部朝刊
「幾山河越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく」(若山牧水)。車窓に広がる景色を見ていると、この和歌を思い出す。
ショートステイ施設に入っている91歳の母は要介護5だが口は達者だ。数日間、介護から解放された私は毎日1時間だけ母に会いに行く。甘酸っぱい梅干し、冷えた栄養ドリンク、大福餅、それに今日は熟したミニトマトもある。もう忘れ物はないはずだと思うのだが、近ごろめっきり記憶がおぼつかない私にとって、母の前に出るということは入社試験の面接に等しい。
母の青春は戦争真っただ中に過ぎた。その兄はゼロ戦を棺として太平洋へ散華したが、母は大正、昭和、平成を臆せず生きてきた。その厳しさからか私は母の涙を知らない。人前で取り乱すことのない母にも隠れて泣くこともあったろうにと思う。
とはいえ長男の私にいつも父のお墓掃除を命じ、その報告を逐一聞くのを慣例として容赦なしの母。一方では、私には駄々っ子の母でもある。
先日も冷えたスイカが食べたいと言いだした。たまりかねた私が「スイカはまだ店頭に並んでいない」と言ったら「昨日の昼食のデザートがスイカだった」とぽつり。あまりに悔しかったので「それは冷凍物」と言ったら「目の前で切り分けていた」と。
分かったよお袋さん、飛び切り甘いのを買ってくるから待っていろよ。実は意気軒高な母を前に、心から天に感謝している、もうひとりの私がいるのでしょうがない。