悼・中村哲さん
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日本中に、悲鳴に似たものが、響いたと思う。
本当に残念で、惜しくて、
信じられないと思う人が、沢山いたと思う。
以前、
NHKのETV特集で、
『武器ではなく命の水を』
~医師・中村哲とアフガニスタン~
を、流したものを、録画しておいた。
又、今回の事があって、何度も再放送されていた。
今、改めて何度も見ている。
その中で、心を打つ沢山のことばが、あった。
*****
毎日、数百人の子供が、命を落としている。
さらに多くの人が、
水不足のために、病気になっている。
私たちの目的はただ一つ。
自分たちで、食べていけるようにすること。
この用水路建設に、
アフガニスタンの未来がかかっている。
(中村哲・テレビの中で言った言葉)
*****
作業地の上空を盛んに
米軍のヘリコプターが、
過ぎていく。
彼らは殺すために空を飛び、
我々は生きるために地面を掘る。
彼らはいかめしい重装備、
我々は埃だらけのシャツ一枚だ。
彼らにわからぬ
幸せと喜びが、
地上にはある。
乾いた大地で水を得て、
狂喜する者の気持ちを
我々は知っている。
水辺で遊ぶ
子供たちの笑顔に、
はちきれるような
生命の躍動を
読み取れるのは、
我々の特権だ。
そして、これらが、
平和の基礎である。
(中村哲・手記より)
宇部市立図書館で、
追悼写真展と、
昨年11月に下関市の東亜大学での講演
『アフガニスタンに命の水を』の上映会が、開かれるとの事。
中村さんや、
「ペシャワール会」と、交流を続けてきた
「ビエラの会」が、企画したそうだ。
図書館の1階のコーナーでは、
写真やパネルが、わかりやすく張り出され、
片隅には、ビデオを見るコーナーも作られていた。
ひっきりなしに多くの人が、訪れ、見入っていた。
午後13時半の上映会に参加した。
二階の講座室には、
準備された椅子では、座りきれず、
隙間を埋めるように、
椅子を、かなり追加していた。
中村哲医師が、35年にわたって、
アフガニスタンで、
危険を伴いながらを、積み上げてきたもの。
飢餓は薬では、治らない。
用水路ができたことで、
不毛の地に、作物ができ、
多くの人の命を救い、
農業ができるという道筋を、作り上げた。
手に入りにくい、コンクリートでなく、
鉄線と、石で蛇籠(じゃかご)を作り、
壊れても自分たちで治せるものを、使い、
そこに、柳を植えて、丈夫な堤防にした。
クナール川の水流の調節が、
上手くいかない時は、
故郷の筑後川の山田堰(やまだぜき)から学んで、活かした。
国民に希望や、喜び、
未来を想像する幸せを、
作り上げた医師、中村哲さん。
白衣をぬいで、
アフガンの人と一緒に、
用水路を作った、中村哲さんを、
深く知る機会を、得た日だった。
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