北前船
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『新日本風土記』で、【北前船】を、
二度に分けて放送しました。
江戸から明治にかけ、日本列島を結んだ大動脈。
大阪から瀬戸内海をぬけ、
北海道まで、2000キロの旅。
風がなければ、日本海の方が穏やかな海だそうだ。
立ち寄った港で、商品を仕入れては、
よその港で売りさばく。
巨万の富を生んだそうだ。
1回目は、【北前船の贈り物】
なんとなく見ていたら、【裂きおり】の事が、でていた。
録画していなかったので、
次の再放送を録画して、見入ってしまった。
木綿ができるまで、麻が主流で、
寒いところでは、綿は育たないそうだ。
鳥取県境港は、江戸時代不毛の地で、
綿の栽培を始めたことで、
木綿ができ、伯州綿(はくしゅうめん)として、
あちこちにひろがったそうだ。
そうして広がった木綿は、
麻と比べて、暖かいので、非常に喜ばれたそうだ。
青森県下北半島の付け根の、野辺地(のべち)という寄港地に、
大阪との取引記録が残っていた。
古手とあるのは、古着ということ。
古くても、綿は暖かいし、
寒冷地では育たないので、大切にしたのだろう。
高価な着物や、綿でなく、
木綿の古着を買い求め、
ほどいて1センチ位に裂き、また織りなおす。
今も、【南部裂き織り保存会】では、
全国から古着を送ってもらい、
それを、喜んで裂き、
織りなおしている。
裂きながら、
「これは、いい木綿はだね」とか、
「昔の木綿はいいねー」と、話していた。
織りなおしたものは、
外の作業着にしたり、
こたつ掛けを作るそうだ。
裂いた糸玉は、
【へそ玉】といって、
宝の山だと、言われていた。
コロナウイルスが、終息して、
いろんなことが、落ち着いたら、
いつか、野辺地の裂き織り保存会を、
訪ねてみたいと思う。
以前、デイスプレイ用に買った綿の枝。
種と綿に分けて、みた。
種は、植えてみようと思う。
芽が出るかどうかは、わからないけど。
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